【妊婦期】


私の妊婦期は。。。
なんといっても「悪阻」つわりの一言です。


そもそも他の人よりもおそらく気づくのが遅かった私。笑


どうして気づいたか?


「悪阻」になったからです。
 
生理の遅れは大前提として
胸焼けのような、船酔いのようなダルさ。
そして匂いに敏感になり、お店全体の匂いにノックアウト。


これは単なる体調不良じゃない!と思い
検査したところ、妊娠が確定しました。


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具合が悪くとも、妊娠は嬉しかった。



人生初の産婦人科。


「もう大分大きいですよ。」
と1センチちょっとの娘のエコー写真を握ったときは
単純に「うれしい」「幸せ」
その気持ち一つでした。



そこからエスカレートする「悪阻」の日々



胸焼け船酔いから
「吐き続け」の日々が始まりました。
少なくとも1日3回
多いときはそれ以上吐き続けていました。


当然吐き続けると吐くものもなくなり
「胃液」(多分)を吐くこととなります。
これがまた痛い・・・
酸だから?
喉がただれまくります。
「吐くときは水をトイレに一緒に持っていこう」と決め
(水を飲みながら吐くと、いくらか痛みも軽減されていました)
ペットボトル片手に吐く。という謎のスタイルが確立されてました。


お店の匂いは当然ダメ。
かといって代わりはいません。
営業時間以外はずっとじっとしていました。



妊娠初期ということもあり
流産の懸念もありましたので表にも公表せずに
ごく一部の友人にだけ伝えていました。


ただ食べる事だけはやめられない。


かつて私の母が私を妊娠していたときに悪阻で栄養が取れなく入院したからです。
私が入院したら、お店は営業できません。
それはとても困ることなのでとにかく食べられるものを考えながら食べました。


【私が食べていたものシリーズ】
・チキンラーメン
・お好み焼き
・冷めた天丼
・トマトとアボカドのサラダ


栄養度外視(笑)のとんでもないラインナップですが
食べることに必死でした。
吐いてもとにかく食べて、入院だけは絶対ダメだ!!そう思っていました。


救いは
「娘が生きてくれて成長してくれたこと」


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初期は胎動も当然ありません。
娘が生きているということは、健診に行きエコーでしか分かりません。
具合が悪くて外出なんぞ全てが億劫でしたが
エコーを見て娘が動いている姿を見ると心底安心しました。



また、近所の「大和接骨院」にも大変お世話になりました。
どれだけ通い詰めたことか。笑


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そうして来た世に言う「安定期」



妊婦期に「安定」などないと思いますが。。。
当時の私はこの「5ヶ月目」を心待ちにしていました。



周囲にもやっと公表することができ
フッと肩の荷が下りた。そんな感覚でした。
(まだ悪阻はしぶとく残っていましたが。。。笑)



6ヶ月にもなると
吐き続けは収まり
頭痛と匂いで具合が悪くなる程度になりました。
今考えると、頭痛だけでも嫌ですが
その当時は吐かない日々ハッピー!!って感じでした。
(もはや感覚が麻痺。笑)




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チーズケーキ(チーズはOK。謎~)
茄子
牛肉


この3つは産まれる直前までもNGな匂いで
食べる分には大丈夫なのですが、匂いをかぐと「おえ。。。」
謎ですね~。。。



あと謎といえば
「ブルーライトNG」でした。
パソコンやスマホを見ていられないんですよね。
すぐに頭痛になってしまっていました。
これも謎でしたね~。。。



そうしているうちにお腹も大きくなり胎動も日に日に強くなり
7ヶ月目にはようやく「娘」であることが分かり
名前で呼び始めるようになりました。



体調も安定してきたので
残りわずかな単身ライフを楽しむのに必死となりました。笑
行きたかった飲食店
会いたかった友達
ショッピング
とにかく歩きまくりました。



経過も順調でしたので
張りを感じたら休んでください。位しか注意もありませんでした。

 
あとは体重制限。。。汗
体重制限は、あまり太ると産道に肉がつくよ!
と言われて相当ビビってたので
結果7キロ増
でおさえることができました。
(これも大変だったなぁ。。。食べた分だけ太る妊婦の不思議。笑)



健診の2~3日前からより食べるものに気を使い
健診当日は手持ちで最も軽量な服を選んでました。

数グラムの悪あがき。そして無駄なストイックさを発揮。笑


健診はいつも定休日の午前中に行っていたので
その日のお昼は反動で食べちゃうんですよね~



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予定日前日の写真。
(後に予定日から1週間遅れで産まれます)



この頃は、子宮を吊るじん帯が毎日悲鳴をあげていました。
娘はとにかく動く子だったので蹴るたびにじん帯が痛みましたが
悪阻に比べたら、、、、可愛いものです。


寝返りも普段たくさんする方ではないのですが
いざできない状況になると「早く寝返りがうちたい。。。」
などと思うようになり、不思議なものですよね。笑



今書きながら振り返ってみても。。。

「悪阻」

「悪阻」

とにもかくにも「悪阻」


悪阻のエピソードしか出てこないくらい濃厚な悪阻を経験しました。笑


それでもやはり
「入院することなくお店に立ち続けられたこと」
これは娘に一番感謝していることです。


そして命は当たり前に生まれてこない。
身をもって知った妊婦期でした。


また、育児もですが、妊婦期も
人それぞれ。
悪阻ひとつとっても、症状や期間などもバラバラなんですよね。
どんな方法が症状を軽くする、とか。


何が良いとか
何が間違っているとかではなく
自分がどのように過ごしたくて
どのように過ごせるのか。


参考書や体験談などで自分自身を目一杯にしてしまうと、疲れちゃうんですよね^^;


悪阻の時は本当にシェフを振り回してしまいました。笑
おかげで乗り越えられたようなものです。


具合悪いのを察しておくんなまし....


これは早々に諦めました。
私の場合は何から何までどんな症状が辛いか全部口に出して、何が今日は食べられそうだとか、とにかく何でも我慢せず言っていました。


私も初めての妊娠に悪阻ですが
シェフからしても初めての経験で
そりゃあ察する。なんてできるわけないですよね。



結果相当わがままをして悪態をつきまくってしまったのですが
それで喧嘩になるようなこともありませんでした。
むしろシェフも「黙ってるより言ってくれ」というスタンスで
協力してくれました。


夜に突然「ナシが食べたい」とダダをこねてみたりもしました。
(もちろん家にはありません。買ってきてもらいました。笑)



そうして精神的にはとても楽に過ごすことができ。。。
また、あくまで「私は」ですが
「大和接骨院」での治療がかなり効きました!!


治療法についてはおそらく個人個人で違うと思いますので控えさせていただきますが
治療を受けた後は症状がかなり軽減されるのです。
あの薬もない、対処法もない、、、
 

こんな便利な時代に根性論かい!
そんな風に思っていた私にとっては
願ったり叶ったりの衝撃でした。


悪阻が落ち着いてもずっと通いました。
(逆子の治療もあるようですよ。)
私が何事もなく動き回れたのはここでの治療のおかげかもしれません。


多いときは毎日。少なくても週1、2回は通っていました。


興味がある方はお問い合わせしてみてください^^


本当、悪阻の研究進んで欲しいわ~と願って止みません。


「私たちのときは。。。」なんて苦労話はいきすぎるともはや老害ですしね。
時代に合っていないと言うか、苦労が美化されすぎるのもどうなんだろう。。。と。
もちろんその時代での苦労エピソードは尊敬します。
すごいなぁと素直に思いますが、
かといって便利になったり、発達したものを否定したり皮肉ったりするのは違うんじゃないかなぁ。。。と思うんです。



より辛く苦しい思いをしてよき母とならん。みたいな説あるじゃないですか。
あれ苦手なんですよね。。。



私だったらもし娘が妊娠して
「今は悪阻にこんな治療があるんだよ」となったら
素直に嬉しいだけですもん。



命が生まれること自体、相当なことじゃないですか。



そんな未来があればいいなとすごく思います。



ではまた次回、不定期ですが何かを勝手に振り返ろうと思います。